走馬灯の中で走馬灯を見る

これは引き伸ばされた走馬灯の途中なのではないか

最近歌詞を好むようになった理由と原因を考える

事の発端

米津玄師の曲を聴きながら、「この歌詞いいな」と思うことが増えた。

これまでどちらかといえばメロディなどを重視していた気がするが、この変化は何だろうかと思い整理しておく。

 

どの曲が好みか

とりあえず、歌詞が好みな曲をあげて、その共通点を考えてみる。

この時点で既にある程度の共通点がある。

否定的な現状に対し、肯定的な未来を望む内容という点である。

つまりは「今はダメだがこんな未来は素晴らしい」ということである。

 

肯定的未来は相対的未来である

では、なぜ未来を肯定的に捉えた歌詞が好みなのだろう。

私は「技術が発展した未来」への憧れが強い。もっと未来で生まれていればなぁと思うことが多い。いつの時代に生まれてもそうだろうが。

少なくとも、今より昔ではなくて良かったなとは感じている。

相対的に未来であれば、その未来を肯定的に感じることができるだろう。

つまり、私は時間的な視点ではなく状況的な視点で未来というものを肯定的に捉えているのだ。

 

なぜ状況的未来を肯定するのか

「技術が発展した未来」というものは、様々な問題が技術により解消されていることを示す。

車が空を飛ぶ未来もあれば、洗濯板から洗濯機に変わった相対的未来もある。

悪いものことが解消され良いものへと転じる、いわば「問題解決した状態」が私の持つ「未来」のイメージだ。

 

「問題解決した状態」とはどんなものだろう。

問題というネガティブなものがゼロに、もしくはプラスになる。

我々を悩ませる負の要素がなくなる、それはとても素晴らしいことである。

 

つまり、「未来」とは「問題が解決した状態」であり、それは「プラスである」と私は考えているのだ。

最初に書いた「素晴らしい未来の歌詞」は曖昧である。

正確には「問題が解決するポジティブな歌詞」が好ましい。

 

最近になって増えた理由

ではなぜ、最近になってより「問題が解決した状態(未来)」を好むようになったのか。

それは、大学に入り「デザイン」というものに触れたからではないだろうか。

デザインを学ぶことによって、問題解決によって得られる報酬がよりイメージしやすく、よい状況が想像しやすくなったと考える。

問題解決の手法である「デザイン」に触れ、問題解決から得られるポジティブをより鮮明に感じるようになり、「未来」というものが良いものであると考えるようになったのではないか。

さらにいえば、問題解決への思考プロセスやそこから得られる未来のイメージそのものに良さを感じるようになったのではないか。

つまりは、「問題が解決した状態(未来)」をイメージすること自体が、私にとって良いことであり、「問題が解決するポジティブな歌詞」はその思考の代替になっているということだ。

 

まとめ

私の好む歌詞は今はダメだがこんな未来は素晴らしい」という内容である。

私の想像する「未来」とは「問題解決した状況」という「相対的未来」である。

私は大学に入りデザインを学ぶことで「問題解決した状況」そのものや、それのプロセス、成果をイメージすることを好むようになった。

今はダメだがこんな未来は素晴らしい」という歌詞は、素晴らしい相対的未来を歌う「問題解決した状態」を歌う歌詞であり、それらの行為の代替として機能している。

だから、私は「今はダメだがこんな未来は素晴らしい」歌詞を好むのである。